涅槃



[奈良・興福寺 / 2012.2.12]

せっかくの修行体験旅行だったが、体調不良は残念。

特に初日の奈良博物館では、下痢・嘔吐で、博物館のソファーで横になるだけだった。
が、これも、「涅槃」の境地体験だと思おう。

2日目、修行が終わる頃にはかなり元気になっていた。
今度はもう少しゆっくり滞在してみたい。

千光寺



[奈良・千光寺 / 2012.2.12]

千光寺にて、1泊のみの修行を体験。
星の輝く早朝から日の暮れるまで、なんとも贅沢な時間だった。

東大寺大仏殿







[奈良・東大寺 / 2012.2.11]

できることなら、重源による鎌倉時代再建の大仏殿を観たかった。

現存する南大門と模型と断面図から、当時の建物を想像するしかない。
想像してみると、とんでもなくカッコいい建物なようだ。



[京都 東寺 / 2012.1.4]

5日目は京都の東寺へ。
ここも高野山同様に、空海による真言宗の寺院。

辺りはまだ暗い朝6時から、東寺御影堂での生身供に参拝。
ここ日本でも毎朝こういう風景があることに心が動かされる。

たまたま隣にいた方に、手書きの『弘法大師和讃』のメモをいただいた。
旅の最後まで出会う人々に親切にしてもらうことになった。

法要が終わり、御影堂の外へ出ると、夜が開け始めていた。

旅の後も、朝のお勤めは続けたいと思った。

高野山案内



[高野山・奥の院 / 2012.1.3]

日中は、壇上伽藍・奥の院などを歩き、日が暮れてからは、寺の宿坊で読書。
滞在4日間ともそれを繰り返した。
読んでいた本は、司馬遼太郎『空海の風景』と松長有慶『密教』。

奥の院の入口付近には、司馬遼太郎による高野山の案内文がある。
短い文章だが、高野山の解説の中では最も心を動かされたもの。

水行場



[高野山・奥の院 / 2012.1.3]

ここで手・顔を洗うのも日課になった。
標高900mの真冬の水は冷たい。
おかげで、本当に心身とも清まる気分になる。

立体マンダラを歩く



[高野山・根本大塔から / 2012.1.2]

高野山の中心的な存在である根本大塔は、立体的なマンダラになっている。胎蔵マンダラを、建築空間と仏像によって構成したものだ。

さて、密教は、机に向かって勉強するものではなく、自らの身体を通じて感得するものらしい。
では自分の身体で、いかにこの根本大塔の立体マンダラを体験してみようか。

自分なりに思いついたのは、
「お堂の中をぐるぐる回る」ということ。

回廊状の構成のお堂は回遊できる。
じっと座って、仏像と対峙するのもいいが、
歩きまわると、立体的なマンダラの構成を、身体で把握できるのだ。
また、柱によって仏像が見え隠れするシークエンスは変化に富み、密教の森を歩くようである。

結局、30周くらいしただろうか。
我ながら、ヒマな人間だとも思う。
が、密教の読書だけではわからない、マンダラの理解になった。

お堂の外へ出ると、夕暮れ時の空。
延々と歩き回って、高揚していたのかもしれない。
ゆっくりとした雲の流れを見て、ほっとした。

摩尼宝塔



[高野山・成福院摩尼宝塔 / 2012.1.1]

高野山の滞在中、壇上伽藍と奥の院へは毎日歩いて通ったが、もう一つ、毎日行った場所がある。
それが成福院の摩尼宝塔。

一階の回廊は美術品の展示がされ、中心に本尊がある構成。
入り口にこの建物の発願者の言葉があり、その考えには感動した。

しかし極めつけは、この地下だった。
塔の地下にも回廊があり、そこは完全な暗闇である。
その回廊沿いに、いくつかの仏像が妖しく鎮座している。

鳥肌が立った。
この場所は、未だに言葉にできない異様さがある。
江戸川乱歩の小説の世界、とでも言ったらいいか。
全くの異域に行く思いがしたが、しかし、「宗教体験」とはこういうものを言うのかもしれない。

毎日、一人で怖さに怯えながら地下へ潜った。
が、その暗闇で、涅槃像らの前で手を合わせている時間は、安らかだった。
密教のいう、宇宙と一体化する、というのもあながち分からないでもない。
そして、仏はここでずっと待ってくれていたんだ、と感じた。

と、コレを読むと、なんともアブナい感じに聞こえるかもしれない。
が、摩尼宝塔での体験は、海外旅行並みにカルチャーショックであった。
高野山は、いろいろな経験をさせてくれる。

甘酒



[高野山 ・奥の院 / 2012.1.1]

宿坊近くの酒屋のオバちゃんと仲良くなり、甘酒のお誘い。
お粥とも思えるようなお米のつぶ感ととろみ。
これが絶品で、今までで一番おいしい甘酒だった。
来年も飲みに来たいくらいだ。

上の写真は、その帰り道にて。
遠くに、白い月。